株式会社ジブンノオト(周防大島)

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周防大島の過去・現在・未来

歴史に学ぶ、周防大島の起業家精神

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歴史に学ぶ、周防大島の起業家精神
SUO-OSHIMA'S ENTREPRENEURIAL SPIRIT

海賊から海上交通の担い手へ

戦国時代、周防大島を治めていたのは、「日本一の海賊」と評された村上武吉でした。
毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦い(1555年)において、毛利軍の勝利に大いに貢献した村上水軍の総大将です。
室町時代後期になると村上水軍は、豊臣秀吉が全国に発布した海賊停止令により、
海賊衆を解体しています。
そして江戸時代に入ると、長州藩家臣として船手組となり、海上交通や船舶業務を担うようになりました。また、漁業も盛んに行なわれました。
なお、村上武吉は周防大島の内入の墓(宝篋印塔)に眠っています。

ハワイの地で起業した周防大島人

休憩する移民たち休憩する移民たち。マウイ島プーネネにて。(提供:日本ハワイ移民資料館)

1885年(明治18年)に、日本とハワイ両国合意により、第1回ハワイ官約移民が開始されました。
全国から集まり渡航した944人の内、周防大島からの移民が最も多く、305人を数えました。その後10年間、ハワイへは26回、合計29,069人が渡航しましたが、その内の3,913人が周防大島からの移民です。
周防大島は日本一のハワイ移民の島なのです。そして、移民のなかには、ハワイの地で起業し、後のハワイ発展に貢献した者も少なくありません。
水軍転じて船舶業や漁業、そしてハワイへの移民など、周防大島は起業家精神とフロンティアスピリットにあふれる島だといえます。

ハワイで起業した周防大島人

川崎旅館川崎旅館(KAWASAKI HOTEL)「図説ハワイ日本人史1885-1924」より

川崎 喜代蔵
Kiyozou Kawasaki

周防大島町久賀出身

川崎旅館「KAWASAKI HOTEL」(ホノルル)を起業

実家は久賀で、江戸時代には九州や広島へ帆船で荷物を輸送していましたが、明治以降は廃業に追い込まれたそうです。そこで31歳になったのを機に、第一回官約移民として明治18年2月にホノルルに上陸しました。三年間の労働契約でカウアイ島のカパア耕地で働くうちに、料理を習う機会を得てコックになります。
東京出身の小島定吉が明治22年に、小さな日本人旅館をはじめ、川崎は共同経営者になりました。小島が病弱だったため、旅館を買い取り経営。これが川崎旅館「KAWASAKI HOTEL」、ハワイでの日本人経営の本格的旅館の第一号となりました。

牧野 道枝牧野 道枝「牧野金三郎伝」より

牧野 道枝
Michie Makino

周防大島町小松出身

日本語新聞「ハワイ報知」(ホノルル)を起業

第一回官約移民に応募し、小松村の39名を連れてハワイに渡り、ホノルルに小松村の枝村をつくった岡村広吉の次女です。ホノルル生まれの道枝は、ハワイの日本語新聞「ハワイ報知」を1912年に創刊する牧野金三郎の妻となりました。
金三郎は、外国語排斥運動により、ハワイ全島の日本語学校180校が閉鎖された事を、6年間の法廷闘争を経て勝利。その期間、ハワイ報知は広告を打ち切られ給料の支払いにも困りました。
その資金を提供したのが道枝です。それは、道枝の父、岡村広吉が料理屋「檀山亭」で成功し、周防大島へ引き揚げる時にもらったお金でした。
1953年に夫が他界してからは、8年間二代目社長を務めました。現在、ハワイ報知はハワイで発行されている唯一の日本語日刊新聞です。
日本国外では最も歴史のある日本語日刊新聞の一つとなっています。

大谷 松次郎大谷松次郎「布哇浄土宗教団発行書物」より

大谷 松次郎
Matsujiro Otani

周防大島町沖家室島出身

ハワイで日本人による水産業を確立

明治23年に沖家室島に生まれ、大島郡西方尋常小学校を2年生で退学。そして16歳の時、ハワイから沖家室島に帰国していた北川磯次郎と出会い影響を受けました。北川磯次郎とは、ハワイ島のヒロで「ヒロ水産株式会社(Hilo Suisan Company)」を立ち上げて成功していた人物です。
現在も、ヒロ国際空港近くで、「SUISAN」という海鮮レストランとして続いています。沖家室島にいても明るい将来はないと感じていた松次郎は、18歳でハワイのホノルル市へ渡り、ハワイ移民となります。そして、市内の太平洋学院英語科に入学し、卸売商の山本商店に就職しました。
その後、21歳の時に市内で鮮魚店を開業すると、その3年後にはハワイで最初の鮮魚の行商を始めています。49歳になると魚市場の会社を設立。そしてハワイ水産会社を組織し、水産加工品の流通や蒲鉾製造等にも着手。ハワイのビッグファイブ(5大財閥)の2社を抑えて米陸軍へカニ缶
詰を卸すという大仕事を勝ち取りました。更には、米海軍との取引も開始し、日本とアメリカ本土との流通ルートを積極的に開拓しています。
その結果、1920年代のハワイ経済、とりわけ水産業界は日系人の企業がリードするようになり、白人財閥の支配が及ばないほどになりました。こうしてハワイの水産業発展に大いに貢献した松次郎ですが、太平洋戦争の勃発により、4年間の拘束を受けました。
なお、松次郎が設立した魚市場は現在も、「United Fishing Agency」(ホノルル)というアメリカで唯一“ セリ” のある魚市場として、営業されています。